元興寺

たてもの探訪Ⅲ(大和9) 2022年01月08日公開

奈良市


◆れきし

  蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最初の本格的な仏教寺院。平城遷都に伴い、養老2年(718)に新京に移されて、寺号を法興寺(飛鳥寺)から元興寺としました。

 平安時代の前半期までは、南都七大寺の一つとして名僧を輩出しましたが、律令制の崩壊と共にやがて衰退。

 鎌倉時代になると、浄土信仰・地蔵信仰・聖徳太子信仰・弘法大師信仰などが入り混じった混然とした状態で群衆を集めるようになりました。奈良時代には南北4町・東西2町の広大な寺域に、七堂伽藍が建ち並んでいましたが、すべて焼失して現存していません。現在の極楽坊の本堂と禅室は、旧僧房の一部を鎌倉時代に改造して、庶民信仰の中で守られてきたものです。

◆見どころ

 寄棟造の本堂は、東を正面にして建っており、阿弥陀堂建築の特色がよくわかります。柱間は6間で、中央に柱があるのは珍しい形。内陣周囲の角柱や天井板材は奈良時代のものが残っており、屋根の一部は飛鳥~奈良時代の瓦で、典型的な行基葺き。

 禅室は切妻造で、正面に4枚の板扉があり、4室にそれぞれ5~8人の僧侶が生活していたといわれています。本堂と同様、部材や屋根瓦の一部は奈良時代のもの。

 周囲には夥しい石仏や石塔がとり囲んでおり、極楽坊とよばれた庶民の深い信仰と、調査・保存を積み重ねてきた先人たちの姿にふれることができます。