しょうざん光悦芸術村
たてもの探訪Ⅱ(山城122)
2024年08月26日公開
京都市北区
◆れきし
西陣の豪商・松山政雄(1911~1965)が贅を尽くした、数寄屋建築の楽園。松山は西陣の撚糸業の家に生まれ、昭和23年(1948)、織物製造業「近畿織物(昭和34年、「株式会社しょうざん」とかいしょう)」を設立し、「ウールお召し(毛織物の和装)」で成功しました。「しょうざん」は「松山」の音読みです。
そのころから『現代の本阿弥光悦村』を意図し、それよりも規模の大きい織物の楽園をつくろうと、昭和20年代後半、紙屋川沿いの約3万坪の土地を入手して造営を開始。着物の展示会場と観光客の誘致施設を計画し、好みの数寄屋建物の移築・新築とともに庭園の整備を行い、現在では、ホテル・結婚式場・レストラン等と融合した洛北の秘園「しょうざんリゾート京都」となっています。
◆見どころ
鷹ヶ峯・鷲ヶ峯・天ヶ峯の三山の麓、紙屋川沿いに、趣の異なる北庭(北山台杉・紀州石・楓・苔・梅林)と、南庭(清流・滝・回遊の道)が広がっています。そして北庭エリアには峰玉亭(昭和40年頃新築)・酒樽茶屋2棟(昭和37年移築)・聴松庵(昭和26年移築)・玉庵(昭和39年移築)、南庭エリアには千寿閣(昭和34年移築)・榊原紫峰邸(昭和30年移築)・松峰邸(昭和53年移築)が点在。
移築した建物は松山好みに改装されており、特に新築の峰玉亭は「迎賓施設」として、政雄のこだわりのもとにつくりあげられ、全体が独特の素材と意匠で埋め尽くされています。具体的には竹材や網代などの伝統的な素材、北山杉・南天など良質でめずらしい木材、蝙蝠(こうもり)型の大きな窓、金地の襖などの古美術が多様され、それらが自由で個性的な発想で組み合わされて、驚きの雰囲気を醸し出しているのです。
京都「鷹ヶ峯」というブランド地名の一角にあり、自然と人口が調和した広大な空間をめぐると、戦後の高度経済成長期を生きた西陣の実業家が、名高い「光悦芸術村」を超えようする、類まれなる夢を感じることができます。
(2024年8月、まいまい京都主催、石川祐一さんによるガイドツアーに参加)
secondサイトメニュー
・たてもの探訪へのお誘い
Ⅰ乙訓(長岡京市・向日市・大山崎町・京都市西京区の一部)
Ⅱ山城(京都府)
Ⅲ大和(奈良県)
Ⅳ近江(滋賀県)
Ⅴ拾遺(全国各地)