蓮華王院三十三間堂

たてもの探訪Ⅱ(山城123) 

2024年9月3日公開

京都市東山区


◆れきし

  後白河法皇(1127-1192)の離宮として造営された法住寺殿。その一角に建てられたのが蓮華王院三十三間堂です。法皇が平清盛に資材調達などを命じてつくらせ、長寛2年(1165)に完成しましたが、建長2年(1249)に焼失。現在の堂は文永3年(1266)に再建されたもので、当初は朱塗りで、内部も極彩色で飾られていたといわれています。

 入母屋造、本瓦葺き、桁行35間(118.2m)・梁間5間(16.4m)で、東面に7間の向拝が付いています(現在の向拝は慶安3年)。

 内陣中央に本尊千手観音坐像(鎌倉時代・湛慶作)を安置し、左右に500躯ずつ千躰の等身千手観音立像が階段上にならんでいます(千躰のうち124体は、創建時の平安時代のもの)。また、再建時の風神・雷神、観音二十八部衆をふくむすべてが国宝で、建物と一体となった、唯一無二の壮観かつ荘厳な雰囲気です。

◆見どころ

 法住寺殿の遺構としては、三十三間堂が残るのみですが、東側には法住寺や後白河天皇法住寺陵があり、往時の広大な光景をしのぶことができます。また、豊臣秀吉が、方広寺大仏殿を創建したさい、蓮華王院を取り込んで長大な築地塀が築かれ、境内の南にその一部が「太閤塀」として残っています。南大門は三間一戸の八脚門で、豊臣秀頼が慶長5年に建立。桃山時代の豪壮な方広寺大仏殿の存在も、見逃すことができません。

 

-参考文献-

・上村和直「法住寺殿の成立と展開」『京都市埋蔵文化財研究所研究紀要』2004年

・京都市埋蔵文化財研究所 「法住寺殿発掘調査現地説明会資料」 2012年

・京都市埋蔵文化財研究所『京都市埋蔵文化財調査報告2023-5 法住寺殿跡・六波羅政庁跡・方広寺跡』2024年

 

南面

板戸

夜泣泉


法然塔

境内からみた太閤塀

東大門(昭和36年建立)


南大門(慶長5年)

太閤塀と南大門(慶長5年)

南大門から東大門(正面は京都国立博物館)



【参考】法住寺殿略図(京都市埋蔵文化財研究所現地説明会資料2012より抜粋)

現在の法住寺

後白河天皇法住寺陵