大雲院・祇園閣
たてもの探訪Ⅱ(山城124) 2024年08月25日公開
京都市東山区
◆れきし
天正15年(1587)、正親町天皇の勅命により、織田信長・信忠の菩提を弔うため、貞安上人が御池御所(烏丸二条南)に開創。大雲院は信忠の法名によるもので、織田父子の碑を建て、追善供養が行われました。その後天正18年(1590)、豊臣秀吉によって寺町四条に移されましたが、商業繁華の地となったことにより、昭和48年(1073)に現在地へ再移転。
この地は、もと元財閥大倉貴八郎の別荘地だったところで、したがって現在も当時の書院(旧大倉家京都別邸「真葛荘」)・および祇園閣(いずれも国登録有形文化財)と、大雲院の伽藍(新築・移築)が混在する、不思議な境内となっています。
◆見どころ
大雲院本堂は、昭和48年新築・二階建て本瓦葺(旧本堂は智積院に移築)。鐘楼は、旧北野社の豊臣秀頼寄進による豪壮な桃山様式で、梵鐘は旧祇園感神院の延徳2年(1490)在銘。ともに維新後の神仏分離によって無用とされていたものを、明治3年に島津家が、佐土原藩士の菩提を弔うために寄進したものです。
祇園閣は、昭和3年(1928)の御大典記念に、喜八郎が祇園祭りの壮観を常に披露したいと、山鉾を模した塔を建てたもの。屋根は銅板葺きで、金閣・銀閣につぐ「銅閣」としてつくらせました。設計は高名な建築史家・伊藤忠太。鉄筋コンクリート造り3階建て(高さ36メートル)で、最上階からは、京都盆地360度の眺望が楽しめます。鉾先には、喜八郎の幼名が鶴吉、雅号鶴彦にちなんで、金鶴が輝いています。
高台寺につながる「ねねの道」からは、大雲寺の大屋根と個性的な祇園閣が見え、いかにも京都らしい雰囲気を醸し出しています。
(2024年8月、第49回「京の夏の旅」特別公開で拝観)
祇園風景
祇園風景
総門
祇園閣鉾先の金鶴
本堂
鐘楼
鐘楼の意匠
佐土原戦没招魂塚・豊烈曜後之碑
【参考】智積院明王殿(旧大雲院本堂)
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