六波羅蜜寺
たてもの探訪Ⅱ(山城125) 2024年08月31日公開
京都市東山区
◆れきし
浄土念仏の先駆者・空也上人が開いた寺院。平安時代の歴史書『扶桑略記』によれば、天暦5年(951)に造立した十一面観音を本尊とする西光寺を前身とします。空也の死後、延暦寺の僧・中信の中興により、六波羅蜜寺と改称。
平安時代末期には、このあたりに平家一門の屋敷が建ち並びましたが、その没落と共に諸堂も炎上しました。鎌倉幕府はここに六波羅探題をおき、源頼朝や足利義詮によって再興されたのです。その後、文禄年間に豊臣秀吉が方広寺を建立した際、本堂の修理がなされ、寺領を与えられました。
◆見どころ
本堂(重要文化財)は、貞治2年(1363)年修造の、桁行7間・梁間6間、寄棟造・本瓦葺。法観寺の塔(八坂の塔)、三十三間堂とならんで、数少ない応仁の乱以前の建物です(向拝は、豊臣秀吉の寄進で付加)。昭和44年(1969)に、開創一千年記念の解体修理が行われ、色鮮やかな往時の姿がよみがえりました。この時に創建時の瓦や、泥塔8000基、石仏などが出土しています。
明治の廃仏毀釈により寺域は大幅に縮小しましたが、国宝の御本尊をはじめ、空也上人像(口から6体の阿弥陀を発する)、平清盛坐像、定朝様の地蔵菩薩立像、運慶作の地蔵菩薩坐像など、平安・鎌倉期を代表する仏像彫刻の名品がズラリとならぶ様は圧巻の一語で、これまでたどってきた奥深い歴史と、繰り返された苦難を思いやることができます。
-参考文献-
寄棟造・本瓦葺きの本堂
向拝の彩色と扁額
向拝と板扉
平清盛供養塔と阿古屋塚
鎌倉時代の丸彫り阿弥陀
この付近平氏六波羅第・六波羅探題府
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