八坂神社
たてもの探訪Ⅱ(山城72) 2021年08月24日掲載
京都市東山区
◆れきし
社伝によれば、斉明天皇2年(656)に、高麗より来朝した伊利之(いりし)が、新羅国の牛頭山に坐した素戔嗚尊を祀ったことが始まりという。牛頭天皇が祇園精舎の守護神であったことから、「祇園社」・「祇園感神院」とよばれていましたが、神仏分離により慶応4年(1868)に「八坂神社」と改称。現在は本殿の中御座に素戔嗚尊、東御座に櫛稲田姫命、西御座にその子ら八柱御子神が祀られています。
その由緒の深淵を、ここでは言い尽くすことはできませんが、現在残っている社殿の数々はこれまでの歴史が投影されており、意義深い総体としての空間を、如実に感じることができます。令和2年(2020)、本殿国宝指定と合わせて、境内・境外合計26棟の建造物が重要文化財に指定されました。八坂神社のホームページには、元徳3年(1331)の「祇園社絵図」や鎌倉末の「本殿平面図」などの資料を掲載しつつ、各建物について詳しくてわかりやすい解説がありますので、ぜひご覧ください。
◆みどころ
八坂神社HP掲載の「祇園社絵図」には、南門・東門を設けた外郭と、その中心に本殿・舞殿を囲む内郭を配置する、八坂神社の構造的特質が見事に描かれています。そして外郭と内郭の間には、仏堂・宝塔・鐘楼など仏教関連堂舎と、摂社・末社などがびっしりと建ち並ぶ、濃密な宗教空間です。
現在は内郭の回廊(塀?)が取り払われ、神仏分離により仏教関連の建物がなくなっていますが、それでも南門・東門を結ぶ外郭の輪郭や、今でも本殿・舞殿のまわりに、由緒ある摂社・末社がたくさんあることから、本来の祇園感神院の姿を感じることができます。
本殿は、本殿と拝殿(礼堂)が大屋根で覆われて一つの建物となっており、他に類がない独自の建築様式。外観の特徴は、大屋根の下、北・東・西面の三方に庇があることで、その下にいくつかの部屋が設けられ、複雑なつくりとなっています。
現在の本殿は、承応3年(1654)に江戸幕府によって再建されたものです。しかしその建築様式は平安時代や鎌倉時代の様式を受け継いでおり、さらに各時代に造営された個性豊かな建物の数々をめぐると、祇園祭りや神輿を奉仕する氏子らで守り受け継がれている、変わらぬ想いが伝わってくるようです。
(2024年8月、第49回「京の夏の旅」で特別拝観)
西楼門(明応6年) 重要文化財
疫神社(19世紀前期) 重要文化財
蛭子社(正保3年) 重要文化財
本殿西側面(承応3年) 国宝
本殿正面(承応3年) 国宝
本殿東側面(承応3年) 国宝
舞殿(明治36年)
美御前社(天正19年) 重要文化財
日吉社
本殿東透塀
南楼門(明治12年) 重要文化財
石鳥居(正保3年) 重要文化財
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