妙法院
たてもの探訪Ⅱ(山城73) 2021年11月09日公開
京都市東山区
訪問 2021.11.07 京都府文化財保護課 国宝庫裡修理現場公開
◆れきし
青蓮院、三千院とならぶ、天台宗三門跡の一つ。寺伝では法脈の初代を最澄とし、平安時代末に延暦寺から分かれて一院を建てたのが始まり。もとは東山区祇園町あたりにあったものが、秀吉の代にこの地に移転。文禄4年(1595)の「大仏千僧会」に出仕する僧らの食事を準備した台所が、この庫裡だとされています。
そして大坂の陣の後、徳川幕府の庇護のもとで方広寺・蓮華王院(三十三間堂)・新日吉社を兼帯する大寺院になっていきました。
◆見どころ
17世紀中ごろの「洛外図屏風」には、大きな入母屋造り(草葺きか杮葺き?)の庫裡を中心とした旧観が描かれています。現在は全面本瓦葺きで、越屋根と煙出しが付き、両方から換気ができます。内部は規模の大きい壮大な空間となっており、由緒にふさわしい桃山時代の雰囲気が伝わります。庫裡は台所と寺務を掌さどる機能を合わせた建物で、平面図からそのことを良く理解できました。
隣接する大玄関は、後水尾天皇に入内した東福院和子ゆかりの殿舎を移築したという優雅な建物。唐門(平入・檜皮葺きの四脚門)を備える現境内南半分の堂舎は、江戸時代中期以降の造営によるものと思われ、普賢堂は美しい稲荷土の壁が印象的です。
【追記】国宝庫裡は、豊臣秀吉建立と伝えられていますが、はっきりした史料がありませんでしたが、修理に伴って実施された発掘調査で、同時期の遺構が見つかったと報じられました(京都新聞・2022年7月29日)。
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