石山寺

たてもの探訪Ⅲ(近江7) 2025年2月20日公開

滋賀県大津市 訪問:2025.02


◆れきし

 琵琶湖の南端、瀬田川の右岸にあり、硅岩石とよばれる巨大な岩盤の上に建っています。

 『石山寺縁起』によれば、聖武天皇の勅願により、天平19年(747)に良弁が如意輪観音像を祀ったのが始まり。天平宝字5年(761)からは、「造石山寺所」の下で堂宇の拡張や伽藍の整備が行われました。平安時代には都の貴族の信仰をうけ、石山詣でが盛んになりますが、承暦2年(1078)の落雷で被害を受け、永長元年(1096)に本堂を再建。

 鎌倉時代初期には、源頼朝から東大門や多宝塔などが寄進され、現在の寺観が整いました。戦国時代になると、信長方の攻撃によって幾つかの堂舎が被害をうけましたが、豊臣秀吉からは優遇され、慶長年間に淀殿によって復興されています。

◆見どころ

 本堂は、本尊の如意輪観音坐像を祀る正堂(しょうどう)と、懸造の礼堂(らいどう)を合の間で繋ぎ、正堂は平安時代、礼堂は淀殿寄進(慶長7年)。礼堂と同時期の合間は「紫式部源氏の間」とよばれています。

 さらに、源頼朝寄進の東大門・多宝塔・鐘楼、淀殿寄進の蓮如堂・三十八所権現社・経蔵などの名建築が、一体となって岩盤のうえに林立するさまからは、確かに古来より貴賤を問わず信仰されてきた『名所中の名所』の意味深さを実感することができます。また、境内に点在する紫式部供養塔(鎌倉時代)や源頼朝供養塔(南北朝時代)など多数の石造物も、ここならではの特別な雰囲気を醸し出しています。

 

東大門

懸造の本堂と阿加井屋

龍蔵権現社


蓮如堂と本堂

本堂外陣(礼堂)

本堂合の間


硅灰石と三十八所権現

毘沙門堂

観音堂


経蔵

経蔵

経蔵(安産腰掛けの石)


鐘楼

多宝塔

多宝塔